2009年8月 6日
エイサーの由来
浄土宗系の念仏歌に挟まれる囃子の一つ「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」から来ているとされる。また、「おもろさうし」に「ゑさおもろ」(「おもろ」は歌謡の意)の語があり、これを由来とする説がある。
エイサーは旧暦の盆の送り(ウークイ)の夜に行なわれる。近年は盆の迎え(ウンケー)から数夜連続で行なわれることが多い。
旗頭を先頭とした一団は、地域の各戸を回り、それぞれの家の祖先の霊が無事に後生(グソー、「あの世」の意)に戻れることを祈願することを述べ、エイサーを踊る。踊りが一段落すると一団は酒や金を受け取って次の家へ向かい、祈願と踊りを繰り返す。このようにして家々を回り歩くことを道ジュネーと呼ぶ。
エイサーは町内会単位で結成されることが多いが、その境界では複数のエイサーがかち合うことがある。この時には双方が一層声を高くし、踊りに熱を入れる。これをエイサーオーラセーまたはエイサーガーエーと呼ぶ。
袋中が1603年から3年間首里に滞在して浄土宗を布教したのを契機に、沖縄では王家や貴族の間を中心として念仏が広まった。18世紀中頃には、托鉢や芸事を行なう「念仏にゃー」(にんぶちゃー)をお盆に招いて先祖の供養を行なう風習が、首里の屋敷町などで存在していたという。当時は現代のエイサーと形式が異なり、門付歌と念仏歌だけで踊っていた。
明治以降になると、念仏の詠唱を村の若人が代行する形で庶民の間にエイサーが普及していった。沖縄本島中北部から県内全域へ伝播して大衆化する中で、民謡などを取り込む例も増えた。与那国島で始まったのは80年ほど前と言われている。なお、戦前は太鼓を使う例は少なく、浴衣などの普段着姿で手ぬぐいを頭に巻くというスタイルが主流であった。。念仏にゃーの存在は大正の終わりごろにはほぼ消滅している。
戦後、エイサーは沖縄市など本島中部を中心に大きくスタイルを変えた。この地域は青年層の人口が多く、旧コザ市(現在の沖縄市)で1956年に始まった全島エイサーコンクール(現・全島エイサー祭り)の影響もあって、観客を意識した派手な衣装や太鼓のパフォーマンスなどが取り入れられた。一方で、名護市以北の本島北部では伝統的な手踊りのエイサーも続けられている。
現在では、沖縄近辺の奄美諸島のほか全国的にエイサーが踊られている。特に、1990年代以降は沖縄県出身者が中心となって多くのエイサー団体が設立された。また、アメリカ合衆国やフランスでも踊られた例がある。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
旧暦の盆の送りの夜に行われるお祭りです。
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